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昨年10月1800年代後期のS.SHOBEYデザイン帳が突如出現しまし
た。
横浜開港資料館の平野学芸員から連絡があり、東京神田の古書祭りにデ
ザイン帳が出ているとのことで、あわてて神田に急行し確認のうえ入手しました。紛れ
もなく明治10年前後の初代正兵衛の残したものであり約700点ものさまざまなデザ
インが手書きで納められていました。 当時の狩野派絵師が書いたものや、刺し
子、刺繍、テーブルクロス、タペストリー、色絵ハンカチ(スカ―フの元になったも
の)等、の他に横浜真葛焼きのスケッチやメモ書きもあり、大変興味深いものでした。
このデザイン帳が何故流出したのか誰の下にあったのかわかりませんが、横浜は関東大
震災と戦災によって全消滅に近い事からそれ以前に東京で人手に渡ったとおもわれま
す。
初代椎野正兵衛はビジネスを実弟の賢三と息子の2代目正兵衛に渡した
後は、有栖川親王、伊藤博文、井上馨等と日本美術倶楽部の前身である、龍池会の創設
発展のために、終身会員としてその身ささげたことが昨年判りました。これもたまたま
日本美術倶楽部の、創設100周年の準備編纂をされていた、日本橋の春風洞画廊の横
井社長より突然の連絡と資料の送付を頂き、判明したことでした。 このような事
情から、正兵衛自らデザイン帳を誰かに渡したものが出現したと思われます。100年
以上も前の人達のいろいろな会話が聞こえてくるような楽しい思いが頭を駆け巡りまし
た。 この一年間いろいろな人に見ていただき研究の結果以上のことが判りまし
た。
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